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欠落感と喪失感:ドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』を観て

2012-1212_100neko

 

以前予告編をご紹介したドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』を観に行ってきました。あんまり予備知識を入れてしまうと純粋に楽しめないクチなので、公式サイト上の最低限のコメントを読んだだけで、90分じっくり観てきました(あと、佐野洋子さんのエッセイは以前何冊か読んだことはあり)。観終わったあとに、この映画の監督である小谷さんへのロングインタビューを読んだり、Twitter でのつぶやきに答えて下さった小谷さんのリプライから、いろいろと考えていました。感想混じりに並べてみます。

 

この映画の前半は、亡くなる前の佐野さんへのインタビューと、絵本『100万回生きたねこ』のストーリー、それに絵本を改めて読み返した読者の女性たちへのインタビューの3つのパートが、絡み合いながら進みます。監督インタビューの中では「生の時間」として構成されています。この部分は、非常に緻密に練られた映像が続きます。中央線沿線で小谷監督が2年間かけて撮影したねこたちの大部分も、ここで登場します。

 

あっけらかんと迫り来る自分の死について語る佐野さんへのインタビューとは対照的に、絵本の読者の語りは、ぽつりぽつりと、しかし重苦しい内容を孕んでいて、観ていて息苦しくなります。彼女たちに共通するのは――欠落感。

 

欠落感は、喪失感とは正反対の感情のように思います。それまでごく自然に、あたりまえのように持っていたものを、ある日突然失ってしまって憶える感情が喪失感。3・11震災のあと、わたしたちはそれを見せつけられました。肉親を失い、家を失い、ムラを失う、途方もない喪失感も、息苦しさを感じさせる点では同じ。だけれど、それはある種「血の気がひくような」感覚で、冷たいものです。

一方の欠落感は、じりじりとした焦燥を伴った、やけどしそうな熱さをもった感覚です。求めたのに得られなかった、どうしようもなく満たされない感情が欠落感。映画のなかの女性たちが求めたのは母からの愛情であったり親子揃った「幸せな」家庭であったりさまざまですが、普段は水面下に沈めてあるはずのそうした欠落感を、絵本『100万回生きたねこ』は露わにしてしまう。

 

前半部分の息苦しさを伴った映像が折り重ねられていくうちに気づかされるのは、「ああ、ひとは誰しもみな、求めても得られない欠落感を抱えて、でもそれを見て見ぬ振りをしながら暮らしているんだな」ということです。その重苦しさの上で、軽やかにステップを踏みながら進んでいくように見えるのが、佐野洋子さん。佐野さんのエッセイを読んだりしたことのある方なら、姿こそ見えねど、おそろしいほどあっけらかんとした佐野さんの話す様子は想像できるかと思いますし、読んだことがない方なら、「へえ、こんなしゃべりをするひとが、あの絵本を描いたんだ」とちょっと感動すると思います。

 

軽やかな(軽やかすぎる)ソプラノを唄う佐野さんと、通奏低音のように重く(重苦しく)語る読者の女性たちとの間で、淡々と伴奏を務めているのが、ねこたち。そんな感じです。そう、ねこは欠落感とも喪失感とも無縁で、軽くもなく重くもなく、ただ目の前の現実とともに生きている。

 

なるほどねー、そういう構成か……と思って観ていると(そして、しかしそれじゃあちょっとありきたりだよなー、とかいう批判精神もむくむくと鎌首をもたげてきたところで)、佐野さんの葬儀のシーンに切り替わります。ここで、小谷監督がそれまで織り上げてきた緻密な音楽は転調し、構成はばらばらになります。軽やかなソプラノを唄っていたはずの佐野さんの別の一面が、彼女のエッセイの文章が断片的に拾い上げられるうちに垣間見えてくる。映画の後半部分、監督インタビューでは「死の時間」と位置づけられる部分です。

 

正直な話、後半部分は、監督の意図した「混乱」なのか、監督自身も巻き込まれてしまった「混乱」なのか、判然としません(監督インタビューでは、後半部分の撮影では相当苦労したようなことを述べておられるので、あるいは後者に近いのかもしれない)。もう1回か2回、後半部分だけでも観返すことができれば、もう少し解けるのかもしれないし、やっぱり混乱したままかもしれません。混乱を解く鍵を持っているはずの佐野洋子さんがこの世から去った今、もう誰にも答えは見えなくなっているような気もします。

 

ただその後半部分を観ながら印象的だったのは、軽やかに見えた佐野洋子さん自身が、ほかならぬ自分自身の才能について、実は子どもの頃から抜きがたい欠落感を抱えていたように思えたところです。佐野さんもまた「求めても与えられることの叶わぬひと」だった。前半部分の読者の女性たちとも、ほかのすべてのわたしたちとも同じ次元に、佐野さんもいたんだなあ(たぶん)、と気づいたのは(あるいは誤解かもしれませんが)印象深かった。

 

そして、その上でもう一度、佐野さんはやっぱりすごいんだなと思ったのは、彼女はその欠落感を、隠蔽したり拘泥したり昇華させたりすることなく、「あるがまま」にしてしまうところです。そうする魔法を、彼女はある日突然体得する。その魔法の種明かしは、後半にもう一度出てくる読者の女性たちのバストアップ映像にある(と思う)のですが、それはおそらく、佐野さんが戦前の中国(北京)で生まれ育ったことに関係しているようです。日本生まれの日本育ちであれば「欠落感がもたらす焦燥を水で冷やし、浄めて、流し去り、なかったことにしてしまう」んでしょうけど、彼女はどうもそうではなかったらしい。

 

このあたりはさるねこ父もまだ未消化ですので、佐野さんのエッセイ(小谷監督に勧めていただいたのは『私の猫たち許してほしい』=ちくま文庫)を読み直しながら、またゆっくり考えてみたいと思います。

ドキュメンタリー映画『100万回生きたねこ』
東京=シアター・イメージフォーラム(03-5766-0114/12月8日(土)~)
横浜=シネマ・ジャック&ベティ(045-243-9800/1月19日(土)~)
逗子=CINEMA AMIGO(046-873-5643/順次公開)
高崎=シネマテークたかさき(027-325-1744/順次公開)
静岡=シネギャラリー(054-250-0283/12月22日(土)~)
松本=松本シネマセレクト(0263-98-4928/2月23日(土)のみ)
名古屋=名古屋シネマテーク(052-733-3959/12月24日(祝)~)
大阪=梅田ガーデンシネマ(06-6440-5977/1月5日(土)~)
京都=京都シネマ(075-353-4723/3月公開予定)
神戸=神戸アートビレッジセンター(078-512-5500/2月9日(土)~)
岡山=シネマクレール(086-231-0019/12月22日(土)~)
広島=横川シネマ!(082-231-1001/2月公開予定)
松山=シネマルナティック(089-933-9240/順次公開)
沖縄=桜坂劇場(098-860-9555/2月公開予定)

長崎でも、待ってれば来るのかしらん……?

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ドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と2:動物たちの大震災』

飯田基晴監督のドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』は、2010年7月に長崎市立図書館で自主上映会を開き(当時の記事はこちら)、先日の長崎市動物愛護フェスタでもそのダイジェスト版『いぬとねことにんげんと』を上映しましたが、このたびその続編となる『犬と猫と人間と2:動物たちの大震災』の予告編が公開されました。

 

 

副題からわかるように、今回のテーマは東日本大震災後の被災地の動物たちとひとびとに焦点を当てています。

 

【作品紹介】
大津波に襲われた宮城県石巻市。
原発事故に翻弄されつづける福島県。
東日本大震災では犬や猫、牛などの動物たちも被災しました。
動物たちが伝える無言の声、その声に耳を澄まし動きだす人々。
被ばくした牛たちを生かすべきか否か?
別れ、再びめぐり逢ういのちといのち。
3・11後の被災地で、動物と人々が過ごした日々を見つめます。
2009年に劇場公開され、話題を巻き起こしたドキュメンタリー映画「犬と猫と人間と」の飯田基晴監督がプロデューサーとして製作を指揮、宮城県出身の若手監督、宍戸大裕­が震災下を生きぬく動物たちと人々に迫ります。

 

監督・撮影:宍戸大裕
プロデューサー:飯田基晴(「犬と猫と人間と」)
製作:映像グループ ローポジション
配給:合同会社東風
2013年1月完成予定/95分(予定)/HD/16:9/documentary
オフィシャルサイト:http://inunekoningen2.com/

 

8月26日に宮城県多賀城市で先行試写会が行なわれ、現在も編集作業が続いています。完成記念上映会は2013年1月13日(東京ウィメンズプラザ@青山)、その後2013年4月から順次全国で公開というスケジュールだそうです(公式ページより)。……『100万回生きたねこ』の記事でも書きましたが、長崎まで来てくれるかなあ、と切実に思いますね。正直に言って、九州・長崎に暮らしていると、被災地の問題というのをなかなか身近に感じることは難しいし、強く関心を皆が持っているとは言えないと思います。

だからこそ観たいし、観て欲しいとも思うから、もし長崎の映画館でかからなかったら、また自主上映会を企画したいですね。

 

なお、映画製作・上映にかかる諸経費は、制作費が800万円・上映活動で900万円になる、ということで、製作会社のローポジションさんでは、寄付を募っていらっしゃいます。くわしくは、こちらのローポジションさんのブログ記事および映画公式ページ「製作応援のお願い」をご覧下さい。さるねこ父もこれから振り込もうと思います。

むかしのねこ

日本における猫の民俗についてまとめた『猫の民俗学』という本があります。

 

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大木卓『猫の民俗学 増補版』(田畑書店・1979年)

 

かなり古い本で絶版になっていますが、類書はありません(日本でこの方面のちゃんとした本はこれ1冊しかありません)。初版(1975年)と、それに若干追補した増補版(1979年)があり、長崎県立図書館にはどちらも蔵書として入っています。

 

このなかでおもしろいなと思った記述があったので、ここで紹介します。1920~30年代の農村を調べた民俗学者による猫の飼育に関する調査結果です。

 


 

最近越中五箇山(東礪波郡)の西赤尾で聞いた処では、このごろ養蚕の衰微から、農家の猫は幾分減少したが、それでも部落四十八戸の中、四十戸迄は飼って居る。中には一軒で二匹以上居る家もあるから、略々(ほぼ)家の数に均しからうといふ。之に対して犬の方は十軒迄は飼って居ないらしい。然も此の比率は、私が最近全国五十余ヶ所の部落に就いて調べたものと略(ほぼ)一致して居る。さうして離れ島などでも、犬の居ない処はあるが猫だけは必ず飼はれてゐる。犬が喧しく吠立てて、さも沢山居るやうに感じられるに対して、猫の方は多く家庭に引籠って居た為に、さして目立たないが、その数は思ひの外多かった。斯く猫の飼はれた理由は、鼠の害がはげしかった事、一方に飼料その他の点で、飼育上の負担が軽かった事、同時に犬のやうに課税等がない点等も関係して居たらしい。然も犬の方は、山村等では狩が無くなってから、めっきり数が減少したともいふ。面白い事には、今も尚昔のまゝに、狩猟が重要な産業となって居る、秋田県阿仁合谷の村々でも、犬の飼育数は猫に比べると著しく尠(すく)ない。北秋田郡上小阿仁村八木沢、同じく荒瀬村打当内等は、猫が全戸数の殆ど九五%飼はれて居たに対して、犬の方は漸く一〇%乃至一五%である。

今一つの興味ある事実は、猫が殆ど貧富を超越して飼はれて居た事は、猫いらず等のある今日であるから、鼠害予防等の経済的理由ばかりではなかったらしい。その証拠には、随分と貧しい家庭でも飼って居る。茶を呑む器一個にも事欠くやうな見すぼらしい家にも、猫の居る事はさして不自然でなかった。そんな家庭でも、飼猫を殺して皮を売った等の話はまだ聞いた事がない。愛玩用などと云ふと適切でないが、何かしら人生の伴侶として必要であったと思はれる。【猫の民俗学pp.15-16】

 

原典は早川孝太郎「猫を繞(めぐ)る問題一二」(1937年)です。早川孝太郎(1889-1956)は愛知県出身の民俗学者で、全国の農山村をフィールドワークして回り、丁寧な聞き取りをもとにひとびとの生活知をまとめていったひとです。

上に挙げた早川の記述からは、多くの村々で、ねこはほとんどの家に1~2匹飼われていたこと、鼠の害を防ぐことが期待されていた一方で、「ねこと暮らすことそれ自体」がひとびとの生活上の潤いとなっていたらしいことがわかります。

 


 

牛が農家の家族の一員たると同様に、猫も鶏も壱岐の農家の家庭構成上欠くべからざるものの様に成って居る。犬を飼ふ家は滅多にないけれ共、猫と鶏とを置かない家は先(ま)づ無いと云ってよい。と云って閑人達や子供の無い人達が猫を飼ふのとは性質を異にする。愛物として置いてなぐさむのではない。猫も居候ではない。置いて鼠に備へるのである。鼠を捕らすのが目的ではあるが、とらなくても猫が居れば鼠が自由にし得ないだらうと云ふ気持が強い。猫を玩具にする愛猫家ではない。多く棚元の隅かニワ(注、土間)の荒神様のあたりに、かげ椀のネコヅキに家族同様の飯に魚の骨位をそへて与へられるだけである。猫も猫で盗み食ひもすれば、冬はクド(注、かまど)の中にはいって灰だらけになってあたりを汚す。なぐりもすれば蹴飛ばしもする。しかしそれも子供がワルサをした程度以上には憎まぬ

野山からヨトボシをして帰って来ると、真っ暗い人気のない家の中から、チョン(注、猫)が鳴きながら走り出て来て足にすりつく。此の無心な小動物の悦び迎ふるしなにも、有心な家族のちやほやといふ歓び迎へに変らない気持を感じ、安らかな心で重い荷をおろすのである。【猫の民俗学pp.16-17、文中の注は大木による】

 

こちらの原典は山口麻太郎『壱岐島民俗誌』(1934年)です。山口麻太郎(1891-1987)は長崎県壱岐出身の民俗学者で、壱岐の文化を語る上では欠かせない人物になります(長崎市における越中哲也さんに近い)。壱岐における調査記録や資料収集に尽力し、その蔵書は長崎県立図書館に寄贈されています。

こちらの山口の記述からわかるのは、壱岐においても、多少手荒ではあるものの、やはりどの家でも家族の一員としてねこを飼い、実利上の効果と、精神的なゆとりをもたらすものとして受け入れられていたということのようです。

 


 

今から80年前、1930年代の日本のムラは、決して豊かではありません。そんななかで、ただねずみの害を防ぐというためだけではなくねこが飼われていた。ねずみを捕るから「よしよし」とかわいがられていた側面ももちろんあるだろうけれども、そうやってかわいがる飼い主に応えてゴロゴロとのどを鳴らすねこが、貧しい農家のひとびとの生活に少なからぬ潤いを与えていた。「ねこを飼う」ことが「人間らしい感情」の源になっていたのではないか、とさるねこ父は思うのです。

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『ネコを撮る』(朝日新書033)と「岩合光昭写真展 ねこ」

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『ネコを撮る』
岩合光昭
朝日新書033・2007年3月
ISBN978-4-02-273133-3 720円+税

2007年3月ですから、もう5年前の本ですね。大きい書店であっても、流れの激しい新書棚では今だと並んでいなくて、版元に注文をかけて入手する感じじゃないかと思います。あるいはAmazonなどの通販でしょうか。寝子ねこの形に切り抜かれた特製しおりがかわいいです。

 

さるねこ父は、この本を買うのと相前後して、まちにいるねこの写真を意識して撮るようになりました。最初のうちは、通りすがりでよく見かけるねこをケータイ(当時のケータイはまだ300万画素とかそんなもん)で撮るくらいだったのが、コンデジを常時持ち歩くようになり、今では一眼レフを抱えてわざわざ撮影に出かけたりしているわけです。その経験から学んだことと、この本で岩合さんが本の半分かそれ以上を割いて言わんとしていることは、

「ねことの距離を詰めるために知恵を絞れ」

ということです。

 

わかりやすいところでは、目の前にいるねこが何を考え、思っているのかその心理を読むことが必要になります。こちらに寄ってこようとしているのか、注意深く観察しているのか、早くも逃げ腰なのか。ちょっとしたねこのしぐさや身のこなし、視線の動きからそれを先読みして、打てる手を打ちましょう、となります。ねこという動物の心の機微を知らないといけないよ、ってことですね。

相対しているねこは、こちらの一挙手一投足に全神経を集中させています。不用意に近づくことはもちろん、カメラを構えること自体が、ねこにとっては「要注意、回避!」の判断につながります。「素知らぬ風で間合いをとりながら、徐々にこちらの有利な状況にねこを誘い込んでいく」のが、ねことの距離を詰めるための、そしてつまりは、よいねこ写真を撮るための戦略であり、そのための戦術のヒントがこの本には散りばめられています。

 

よく「私はネコがこんなに好きなのに、ネコに嫌われる」という話を聞く。その前に、ちょっと考えて欲しい。「私はネコが好き」というのは、自分が主人公になっていないだろうか。ネコとお近づきになりたいのなら、ネコの立場になってものを考えてみよう。

(本書37p)

 

ドランクドラゴンの鈴木に聞かせてやりたい気がしなくもないですが、それはともかく、こんな感じの岩合さんのモノローグが展開される合間に、岩合さんのねこ写真がてんこもりになっている(惜しむらくは本文写真はモノクロ)のが、この本です。

 

妙な言い方になりますが、この本を読んで、それでねこ写真がうまく撮れるようになるわけではない、と思います。ねこ写真をうまく撮るための入口に立てるだけ。でもその入口、スタートラインに立たないことには、「走って逃げ去るねこの後ろ姿の写真」とか「こっちを背中を見せてそっぽを向いているねこの写真」とか「画面の一部に豆粒みたいに小さくねこがいるかも? な写真」を量産するだけに終わります。

やっぱり「大きなあくびをしているねこの表情」とか「母ねこの後ろを一生懸命ついて歩く子ねこたち」とか「街の風景に溶け込んだねこの居住まい」とかを撮りたいわけです。そのために、ねこの生態・行動パターン・生活リズムを熟知し、個々のねこの性格を読み取り、次のねこの動きを予測し、街でねこの集まる場所・絵になりそうな風景を探す。さまざまなことを頭に入れて計算しながら、一瞬のシャッターチャンスに備え、それを捉える。

 

難しいけど、おもしろいです。まちのねこの写真を撮るのは。

 


 

で、その岩合さんのねこ写真展が、8月14日(火)から9月2日(日)まで、長崎県美術館県民ギャラリーで開催されます(8月27日(月)は休館日)。前売券かわいいですよ(ちょっと『ネコを撮る』のしおりに似ている)。ぜひ前売りを買った上で、足をお運び下さい。

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シュー・ヤマモトさんから Twitter でコメントいただきました

『キャット・アート:名画に描かれた猫』の記事をアップした90分後、さるねこ父に Twitter のリプライが入りました。

 

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ひえー(@_@)!!! ご本人からでした。大びっくりです。「壮大なるバカエネルギー」は、もちろん自分では最大級の賛辞のつもりでしたが、よかった、伝わっていて……(まさかご本人が読むとは想定していませんでしたから)。

 

シュー・ヤマモトさんの Twitter アカウントは@Catmillionair(猫富豪)、『キャット・アート』を機に開設されたウェブサイトもあります。順繰りにサイトを見ていって、もう一度驚いたことがあります。「他の作品」のコーナーの初めに載っている『のりもの うみ そら りく』(小学館の保育絵本)、これ持ってました。ぼろぼろになるほど読みました。久しぶりに思い出して、いやー、感動。

 

リプライで教えていただいたYouTube動画です。本ではわからない、実際の絵の大きさや質感、制作の場の雰囲気などが伝わってきます。本を手に取って読まれた方はこちらもオススメ。「まだ本が手に入らないよう」という方にもオススメ、です。シューさんの愛猫モーリーちゃん(シロ)、ニケルちゃん(アメショ)も登場します。

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ジャンル : ペット

『キャット・アート:名画に描かれた猫』

本物も来てますが(マウリッツハイス美術館展=6/30~9/17東京都美術館・9/29~1/6神戸市立美術館)。

 

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キャット・アート:名画に描かれた猫
著者:シュー・ヤマモト
発行:求龍堂(2012年4月)
ISBN:978-4-7630-1217-3 / 2,200円+税

……ええ、ジャケ買いですが、何か。

 

シュー・ヤマモトは1948年横浜生まれのイラストレーターで、74年にカナダに移住、81年カナダ国籍取得とともに日本国籍離脱。83年にアメリカ永住権(いわゆるグリーン・カード)を取得してアメリカに移住、というちょっとおもしろい経歴の持ち主です。ちなみに、日本国籍の離脱とは、二重国籍を認めない日本の国籍法に対して「そんなら、日本国籍なんかいらないやい!」と三行半を法務省にたたきつけることで、今でも年間150~200人くらいしかいません(→cf. 法務省統計)。30年前ならもっと少なかったはず。

 

で、この本は、シュー・ヤマモトさんが古今東西の名画を、ねこを絡めて、パロディにした作品集です。上の表紙は、ヨハネス=フェルメールの「真珠の耳飾りの少女(別名・青いターバンの少女)」ですね。裏表紙はこんな感じです。

 

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上から、エドワルド=ムンクの「叫び」、ロイ=リキテンシュタインの「メイビー」、グスタフ=クリムトの「接吻」になります。こんな感じで、ラスコーの洞窟壁画(クロマニョン人が狩りの成功を祈って描いたというやつ)からルネ=マグリットの「人の子(自画像)」まで124点+おまけ1点のパロディが集められています(浮世絵の歌川国芳も2点入ってます)。一つ一つを眺めれば、細部までものすごく手が込んでいるとか、じっと眺めているとわかるひとだけわかるひねりとかがあるわけではないのですが、なんせこの数です。そうですね、たとえて言うなら「中学校の美術の教科書の絵を、全部自分一人で描いてみましたよ」ってとこでしょうか。壮大なバカエネルギーがここには惜しげもなく投入されています。

 

さるねこ父の個人的オススメはジャクソン=ポロックの「No.8」とピエト=モンドリアンの「赤黄青のコンポジション」のパロディ。元ネタはこれです。ねこ、出てきません。どうやってこれをねこのパロディに持っていくのか、知りたいひとは、ぜひ本を手にとってみてください。

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No.8 / Jackson Pollock (from AllPosters.co.jp)

 

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Composition with Red, Blue, Yellow / Piet Mondrian (from AllPosters.co.jp)

テーマ :
ジャンル : ペット

『ネコの「困った!」を解決する』

カンナと同じシロクロさんのキャトくん(英国在住)が登場するブログ「CATTO王国日記」で紹介されていた、壱岐田鶴子『ネコの「困った!」を解決する』(サイエンス・アイ新書)を買って読んでみました。

 

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購入した吉祥寺の本屋では、イヌと並べて売られていましたが、売れ行きが全然違っていたのはなぜだろう?

 

なかなかにおもしろい本です。どこがおもしろいかというと、ある程度ねことの暮らしにどっぷり浸かってしまったひとなら陥るであろう感覚――「ああ、もう、ねこさまのなさることだから、部屋のソファでばりばり爪研ぎされようが、ふとんの上でおしっこされようが、時々本気で足を噛まれようが、しかたない、ねこさまだもの」と諦観の境地に達してしまうところを、動物行動治療学の観点から分析し直して、「こうすれば、対処は可能である」という道筋を示している点です。

 

だからといって、小難しく理論ばかりが並んでいるのか、というとそうではなく、逆に一般化できないような特殊な事例ばかりが並んでいるのか、というとそうでもなく、「理論+対処」の部分と、どこにでもありそうな「ケーススタディの紹介+診断+対策」の部分とが、交互に展開されているので、とても読みやすいです。どこからでも読み始められる。

 

そして「ほのぼのイラスト満載の全ページカラー」です。こんな感じ。

写真

これは127ページのイラストで、「事例:足に跳びついてきたり、咬みついてきたりします」の「対策」部分で使われています。

 

変わったところでは、巻末の方で「古典的条件づけ」「オペラント条件づけ」なんて話題も出てきます。いぬのしつけをされる方にはごくあたりまえの概念だと思いますが、「ねこ本」で条件づけによる「しつけ」の話が出てくるケースは、レアだと思います。「ねこにしつけなんてできるの?」と半信半疑ながら読んでいくと、意外に納得できる部分もあったりします。

 

というわけで「ねこの(問題)行動について、きちんと学んで理解してみたい」という方には、この本はオススメです。

『ネコの「困った!」を解決する』
著者:壱岐田鶴子(いき・たづこ)
サイエンス・アイ新書 SIS-237
発行:ソフトバンククリエイティブ株式会社(2012年3月)
ISBN:978-4-7973-6199-5
本体952円+税

テーマ : 猫と暮らす
ジャンル : ペット

『犬の老いじたく』

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『犬の老いじたく:愛犬の老化と向き合うために』
中塚圭子(ドッグトレーニングインストラクター)
角川SSC新書033・2008年3月
ISBN978-4-8275-5033-7 760円+税

これまでほぼ100%ねこブログでしたが、今回は犬の本です。今度の土曜日、5月19日の午後に長崎商工会議所で、この本の著者の方も講師に招いた「高齢犬猫の病気とケア」というセミナーが開かれるので、読んでおこう、と買ったものです。

 

著者の中塚さんは、神戸で1994年から犬のしつけ教室「ドルチェ・カーネ中塚 (DCN)」を運営しています。しつけ方針の基本は「陽性強化(ほめてしつける)」「動物行動学の理論を身につけたインストラクター」「飼い主自身によるしつけ」となっています。さるねこ父は、犬のしつけ理論の展開には詳しくありませんが、中塚さんのスタンスが、比較的新しい理論に裏打ちされているのだろう、ということはわかります。

 

さて、しかしこの本のテーマは犬のしつけではありません。「犬の老いとどう付き合うか」というのがテーマになります。犬もねこもそうですが、人間よりもはるかに速いペースで年を取ります。ねこの1年は人間の5年に相当すると言われ、犬の場合は小型犬で人間の4年、大型犬となると人間の7年に相当すると言われます。当然、人間の思っているよりもずっと早く「老い」がやってきます。一方で、近年の獣医学とその医療技術の急速な進歩によって、犬・ねこの寿命は以前に比べて大きく伸びましたから、その「老い」に付き合う時間もそれだけ長くなった、ということになります。わたしたちの心がまえが十分にできていないうちに、老いたパートナー=犬・ねこと否応なく向き合わざるを得なくなったのです。

この状況に対して、中塚さんが用意した〈場〉が「老犬教室」でした。2006年に開設したこの教室に集まってきたのは、DCNにかつて通ってしつけを学んで今は老いを迎えた犬たちとその家族。パートナーの老いが引き起こす問題行動や健康面の悪化、そしてそれに向き合う家族が抱えるストレスや不安を、老犬教室という〈場〉に集まることによって共通体験としてシェアし、協力して解決の道筋をたどろう、という展開が生まれました。この本は、老犬とその家族たちの持つ〈経験知〉をもとに構成されています。

メインとなるのは、「老い」によって現われるさまざまな問題をケーススタディとして紹介する第2章「犬たちの老化現象」と、それらの事例への個々の対応を積み上げてできあがった対策集である第3章「老犬力を鍛えるレッスン」になります。

第2章 犬たちの老化現象
2-1. 老化は後ろ足から
2-2. 若いときの足腰の酷使に注意
2-3. 再発する悪癖
2-4. トイレのしつけ直し
2-5. 視力の低下
2-6. 犬の認知症 その一
2-7. 犬の認知症 その二
2-8. 食への執着
2-9. 食べられなくなる
2-10. 犬も年を重ねると動じなくなる?
2-11. 病気はお金がかかる
2-12. 老老介護
2-13. 老犬の多頭飼い
2-14. どこで看取るか
2-15. 老化を受け入れる
2-16. 最期にしてあげられること
 
第3章 老犬力を鍛えるレッスン
3-1. 足腰の老化に備えるための5レッスン
3-2. トイレで困ったときの3レッスン
3-3. 食への執着心に応える4レッスン
3-4. 低下した食欲を促すための3レッスン
3-5. 視力・聴力・嗅覚の衰えに備える3レッスン
3-6. 身ぎれいに保つための2レッスン
3-7. 老犬のムダ吠えに対応する3レッスン
3-8. 脳を活性化する4レッスン
3-9. 散歩をおっくうがらないための6レッスン
3-10. 寝たきり介護に備える5レッスン
3-11. ムリせず遊ぶための3レッスン

これらがどの程度的を射ているのかはさるねこ父には残念ながらよくわからないのですが、少なくとも相当数の試行錯誤と情報交換を通じて「レッスン」が生まれてきていることだけは確かです。たとえば、3-1. 足腰の老化に備えるためのレッスンの例として挙げられている「ジグザグ歩き」では、「普段の散歩で通る公園の入口にある車止めを使ってみましょう」「しつけ教室では100均で売っているラバーカップ(トイレの詰まりを直すためのゴム製の道具)を立てて使ったりしました」みたいな記述があります。「うちの近くの公園の車止めなんかちょうどいいわよ」「それだ!」とか、「ねえねえ、いいもの買っちゃった」「うそ、やだ、でもちょうどいいわね、100均で安いし」なんて会話があったんだろうなあ……。ちょっと楽しそう。このほかにも「経験による具体例」があちこちに出てきます。それだけでもおもしろい。犬を飼ったことなくてもおもしろいです。

 

わたしたちは犬・ねこの老いに向き合い始めてまだ日が浅く、なにをどうしていいのかわからなかったり、自分たちだけがこんな辛い目に遭っているのではと苦しんだりする。とにかく情報がない。他人の経験(成功も失敗も含め)をよく知ることが、「老い」という避けて通れない問題に対してできる唯一の心構えなのかもしれません。

この本は、たぶん通過点なんだろうと思います。ここに書かれていることをやってみて、うちでもうまくいった・うちでは効果がなかった、という経験知をさらに積み重ねて、わたしたちはよりよい犬・ねこの「老い」への向き合い方を見つけていくのでしょう。

 

――「ねこの老いじたく」のケーススタディも積み重ねていかないと、ですね。

 


 

中塚さんも講師の一人としてお招きするセミナーは、次の通り開催されます。ながさき近辺でご関心の向きは、当日参加でもけっこうですので、ぜひお越しになってみて下さい。

  • イベント名:公益社団法人日本愛玩動物協会主催セミナー「高齢犬猫の病気とケア」
  • 日時:2012年5月19日(土)13:00~16:00(開場12:30)
  • 場所:長崎商工会議所(長崎市桜町4-1)2Fホール
  • 講師と演題:荒井延明「高齢犬猫の病気」/中塚圭子「高齢犬猫のケア」
  • 参加無料・定員120名
  • 事前にこちらのフォーム(オフィスさるねこ)よりご連絡いただけると、資料準備の点で助かります

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2冊の『猫語の教科書』

我々さんのブログ「猫と我々」で紹介されていたので、『猫語の教科書』2冊、買って読んでみました。

 

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こっちが新しく出た方の『猫語の教科書:共に暮らすためのやさしい提案』(池田書店・2012年)。『ネコと暮らせば:下町獣医の育猫手帳』(集英社新書・2004年)『のらネコ、町をゆく』(NTT出版ライブラリーレゾナント・2009年)の野澤延行さんが監修しています。

 

表紙もキャッチーですが、この本、大変にお買い得です。A5判175ページのほとんど(8割以上)がカラーで、表紙のシャロンちゃん(3歳・メス)の写真が子ねこ時代から100枚以上、本文の説明のために使われています。めっさかわいい。字をまったく読まなくても=子どもでもじゅうぶんに楽しめます。

 

内容は、「はじめてネコと暮らす」「ネコのきもちが知りたい」「ネコのからだは不思議がいっぱい」「楽しく快適に暮らすコツ」「いとしのネコの健康管理」「もっと知りたいネコのこと」の6章からなります。それぞれで触れられている内容は比較的あっさりしており、たとえば病気のことや健康管理など、「もう少し詳しく触れてほしいな」と思う部分がないわけではありません。

でも、細かい注意書きをリストアップすればそれこそ山のようにあるわけで、そんな本が「楽しい」かというと、そうではない。この本が伝えたいのは「ネコと一緒に暮らしながら、お互いに素敵な時間を過ごそうよ」ということです。

 

たとえば里親さがしで里親さんが見つかって、初めてねこを飼うというそのご家族のもとにねこさんをお届けするときに、一緒にプレゼントしたい、そんな本です。

 


 

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こちらは昔から出ている『猫語の教科書』。写真は1998年に出たちくま文庫版ですが、その元となる筑摩書房版は1995年、原書の The Silent Miaow: A Manual for Kittens, Strays, and Homeless Cats に至っては1964年の出版です。原著者はニューヨーカーで小説家のポール・ギャリコ(1897-1976)。

1964年といえば、日本では東京オリンピックの開催年、ようやく先進国の仲間入りをしたところです。当時繁栄を極めていたアメリカは、この年からベトナム戦争への直接介入を始め、国内的には公民権運動が徐々に激化するわけですが、そうした翳りがまだ見えない Good Golden Oldies の時代のアメリカのねこ飼い事情が、この本の背景にあるわけです。

当時のアメリカにおいて、ねこを飼うこと自体は珍しくはなかったものの、そのねこの出自はと言えば、知り合いのねこが産んだ子ねこをもらってきたのだったり、たまたま家の庭に迷い込んできたノラネコだったりしたようです。「ペットショップで買ってくる」という選択肢は、アメリカにおいてすらもまだ一般的ではなかったのかもしれません(※この時代の日本のねこ飼い事情については、長田弘『ねこに未来はない』によく描かれていますが、これについてはまたあとで)。

 

という時代・背景を踏まえて、この本の取っているスタイル、つまり「ねこがタイプライターで執筆したと思われる『いかにして人間の家に上がり込み、人間をその気にさせて、自分の思い通り手玉にとるか』を子ねこたちに教えるためのマニュアル本」を眺めなおしてみると、なかなかにおもしろい本です。当時のアメリカにおいても、ねこが人間社会のなかで生き抜いていくのは、それなりに厳しいことだった。せっかくノラから飼いねこに昇格しても、飼い主家族のご機嫌を損ねればあっという間に外に放り出されて元のノラに戻ったり、不妊化手術も施されず生まれてしまった子ねこたちは、しぶしぶ飼い主が貰い手を探すか、さもなくばそのへんに捨てられて命を落としてもおかしくなかった、そんな時代です。ごちそう――当時のねこにとっての一番のごちそうが、缶詰のフォアグラ、というのは「へぇー」です――をもらうためには、あの手この手で人間と駆け引きをして、飼い主の心理をうまくコントロールしなければいけなかったようです。

 

子ねこやノラネコに「人に飼われて賢く生き抜くための知恵」を教える、という体裁を取りつつ、その実、この本は「飼い主がいかにねこバカであるか」をよく描いてもいます(むしろ、そっちをメインに読み取るひとの方が多いでしょう)。「ねこさま」の思い通り、しもべになりつつそれを喜んでいる飼い主の心理描写に、「あるある」と思う人は、りっぱな「ねこバカ」です。もちろんさるねこ父もねこバカです。Amazon のレビューを読んでると、現在のアメリカにもねこバカは大量に生息しているようで、それがなんだか可笑しいです。ねこバカばんざい。

 

上に挙げた新しい方の『猫語の教科書』がはじめてねこを飼う人向けだとすれば、ギャリコの『猫語の教科書』は、ねこを飼い始めてしばらく経ち、ねこの魅力にはまってしまった人向けでしょう。どっちも買って損はない本ですし、たいがいの図書館にはある(もしくはこれから配架される)本だと思います。

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