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ナガサキ - ヒロシマ

仕事で広島に行ってきました。ふだんとはちょっと違う記事ですが、タイトルを見て関心がおありの方はどうぞ読み進めて下さい。

広島を訪れたのは30年ぶり、前回は小学校の修学旅行の平和学習でした。さるねこ父が育ったのは大阪府の北部地域(北摂地区)で、人権・平和学習が盛んな地域です。たしか1日目は宮島・厳島神社を訪れ、2日目が原爆ドーム・資料館だった記憶があります。

事前に学級文庫に「はだしのゲン」などが備えられ、投下後の悲惨な光景をある程度は知識として持っていたものの、黒い雨のなかを彷徨うボロボロの被爆者のろう人形や、やけどや放射線障害で死の床にある被爆者の写真を、当時のわたしはとても正視できませんでした。今でもそれは、強烈な記憶として焼き付いています。

2年前に長崎に来て最初の夏、原爆投下後の長崎を撮影したアメリカ人を特集したNHKの番組『解かれた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~』をきっかけに長崎の原爆資料館を訪れ、長崎の当時の状況~現在に至る問題を知りました。むごたらしいかたちでその命を奪われ、あるいは生き残ってもさまざまな苦しみを抱えた被爆者の方々がいる・いた現実の重みは同じだけれど、ナガサキとヒロシマのあいだに、なにか少し違うものを感じたのも事実です。

その違いがなんなのか、もう一度ちゃんとヒロシマを見ておこうと、今回30年ぶりに原爆ドーム・平和公園・平和記念資料館を再訪しました。

DSCF3213 東側からみた原爆ドーム

DSCF3231 原爆の子の像

DSCF3235 原爆死没者慰霊碑

DSCF3234 広島平和記念資料館(本館)

なんどかの修復を経た原爆ドームは、記憶よりも一回り小さく、またなぜか小ぎれいに──その表現はおかしいと思うのですが、でもそうなのです──見えました。平和公園のようすは以前とあまり変わりませんでしたが、資料館はまた大きく変わっていました。

小学生のわたしをおそれおののかせた資料館は「本館」となり、その隣に近現代の広島市の歴史や各国の核実験・核拡散の過程を説明する「東館」が新しく建て直され、そちらからまず観覧するようにルートが設定され直されていたのです。結果として、原爆の悲惨さ・グロテスクさが薄められ、その代わりに反核・非戦平和のメッセージ性の方が強くなっている印象を受けました。

長崎の資料館も、前半はへし曲げられた鉄骨や溶けたガラスびんに閉じ込められた人骨、ケロイド写真などが展示されていますが、後半にゆくにしたがって平和希求運動・平和への祈りの展示へ変わります。その点は同じだけれど、順番が真逆になっている。どちらがよい・わるいというものではないけれど、わたしには長崎の資料館の配列の方がしっくりきました。

もうひとつ感じたちがいを挙げると、広島は「理念・ことば」で世界に訴え、長崎は「祈り」を捧げて世界に伝えようとする、というスタイルのちがいがあります。広島は「頭で」、長崎は「心で」と言った方がわかりやすいでしょうか(これもまた、よい・わるいの話でないのはもちろんです)。

 

「平和の理念を世界に訴えよう」と始められた2020年オリンピックの広島-長崎共催招致運動がJOCによって棄却され、ヒロシマ・ナガサキ二重被爆者山口彊さんが亡くなられたこの時期に、少しだけまじめにこんなことを考えてみました。

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