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長崎市畜犬取締条例(1957年~1968年)について・その4

その1……長崎市畜犬取締条例とはどんな条例だったのか:全国初の犬の取締条例

その2……条例によって飼い主や飼い犬になにが課せられたのか

その3……市議会における条例審議の様子

ときて、その4では、新聞の読者投稿欄を読みながら、当時の長崎の犬事情について、より具体的にみていきましょう。

 


 

この条例が制定された1957年当時は「野犬狩り」というのがごくあたりまえの行政による仕事でした。「飼い犬の取り締まりより、野犬狩りが先だろう」というのは、条例審議の際の長田議員・江頭議員の発言でも触れられていましたが、新聞の読者投稿欄でも、まず最初の反応として現われたのは、この「野犬狩りをもっとちゃんとやれ」という内容でした。

 

条例より野犬狩りを行え

 長崎市議会での畜犬取締り条例問題を読み、いささか奇異に感じたことを申上げます。

 いままでも野犬狩りは続行されて来た筈です。しかるに今度の場合は飼犬の野放しに重点がおかれ、何か飼主の重大な責任のように感じられますが、要は野犬の取締りにあると思われます。それならば、野犬捕獲員をもつと増員するのが順当ではないのでしようか。法は運用されてこそ、その効力があると思います。

 実のない条例よりももつと捕獲員を増加することを念頭におかれたい。(長崎市・HH生)

『長崎民友新聞』1957年4月2日1面「よろん」欄

 

この『長崎民友新聞』というのはおもしろい新聞で、1面左上の目立つところに「よろん」欄という読者投稿欄がありました(当時の新聞は6ページが標準です)。今回の条例を調べるのに使ったもう1種類の新聞は『長崎日日新聞』といいますが、これは5面右中段下あたりの、それほど目立たないスペースに読者投稿欄があったのとは対照的です。記事の内容も、民友の方はどちらかというと主婦層や高齢層向け、日日の方は政治・経済中心でやや左翼がかった、固い勤労者向けの感じです。民友はのちに長崎県知事を務める西岡竹次郎が1924年に創刊、日日はもともと『長崎新報』として古く1889年に創刊しています。1959年に両紙は合併して現在の『長崎新聞』になります。

当時の読者投稿欄は、匿名が原則で「HH生」とは今だったら「匿名で、イニシャルH・Hさん」ぐらいの意味になります。このほか「名字+生」というぼかし方もありました。

 

さて、当時の新聞知識はこれくらいにして、野犬狩りです。今のわたしたちだとちょっとどんなものだか想像するのも難しいかと思われますが、次の読者投稿欄は、真偽はさておき、野犬狩りの一面を非常によく表わしていると思います。

 

新条例、是か非か 野犬狩の悲劇について

 長崎市では新条例のもとにいよいよ野犬狩を開始した。

 これはこの条例発足第一号の悲劇である。時は四月一日…場所は市内住吉町の県営アパートの前…悲劇の主は県営アパートを根城にして起臥していた一匹の野犬。これをめぐる悲しい出来ごとである。

 かねて端麗な容姿と温順さをもつておとなにも子どもにも親しまれていたその野犬…俗称クロは、いつものようにアパートの前の道沿の広場にあたたかい浅春の陽光を浴びて足をのばしながらアクビをしていた。そのときふと〝犬殺しの人間〟がつかつかと進んで来てその犬を捕えハリガネを首にまきつけた。クロは性質が温順なだけに抵抗はしなかつた。しかし無理ヤリに引張られるのでクロはもがいた。〝犬殺し人間〟はさもいまいましい顔つきをしてぐんぐん引張る。とうとう犬の首の皮が裂けそこからは赤い血が流れた。クロは悲鳴をあげた。クロはますますもがいた。そこで〝犬殺し人間〟はクロの腹をしたたか蹴つた。クロは、死ぬような悲鳴をあげた。

 この悲鳴を知つた付近の子供達がドヤドヤとかけつけて来た。その子らは四才か五才の幼童で何れもこの〝クロ〟と親しい友達である。すなわち〝クロ〟の仲間である。この血を流しながらひかれてゆくクロの痛ましい姿を見ていた子供達はしばし、ぼんやりしていたが一せいに泣き出した。助けて助けてわめいた。しかし〝犬殺し人間〟は平気で連れて行つた。子供らはせんすべもなくひかれてゆくクロの姿が消えるまで見送つていた

 この光景は、アパートの窓から傍観していた某中学三年生(女生徒)のいつわりなき実話の一端である。

 私は、この話を聞いて考えないではおられなかつた。この〝犬殺し人間〟の仕打ちがこの幼児の心理を如何に動かしたか、如何に影響したかということである。

 長崎市で定めた法は、市民の意思によつて決定された市民のキマリであるから、これを実施するのは当然であつて正しい事に間違いはない。しかし現実はこんな悲劇を生んだのである。

 私は法を否認しない。是認する。然し法を行うには〝方法〟よろしきを得なければいけないと思う。この〝犬殺し人間〟の仕打ちが果して正しいかどうか長崎市当局ではよく検討していただきたい。

 この〝犬殺し人間〟のザンニンな一行為が純真な子供の心理に如何に影響するか。その心に焼きつけられた印象と悲しみが将来に及ぼす影響はどうであろうか。法は正しくとも法の運用をあやまるならば法は死物と同様ではあるまいか。否ヘタにすると悪の生産資源となるのではあるまいか。私は市当局に対し法の運用を間違わないようにしてもらいたいと思う。裏面如何に口に動物愛護の説法をいたすとも現実に於いて……純真な子供の前で……斯く公々然とザンニン行為を敢行するのは果して是か非か。(長崎市松山町・岡田生)

『長崎民友新聞』1957年4月4日1面「よろん」欄

 

ハリガネというかワイヤーで輪っかをつくってそれを犬の首などに引っかけて捕獲する方法が当時は一般的でした(「当時は」と書きましたが、実は今でもその方法で野犬を捕獲する地域はあります)。また、こうした野犬捕獲人はしばしば「犬殺し」という蔑称で呼ばれてもいたようです。いずれにせよ、かわいがっていた「クロ」が乱暴に連れていかれるのを見た幼児たち(=今は、ちょうど60歳)には大きなトラウマが残ったと思われます。

 

この記事を承けたと思われる長崎市への批判的な投稿が続きます。

 

動物への愛を無視するか 長崎市当局の意向を問う

 長崎市畜犬条例を日本最初の条例として世間の注目を浴びているようだ。

 この条例が実施されてからまだ日が浅いのでどんな結果が得られるかは今のところ、見当がつかないであろう。しかし私の察するところ、狂犬病が市民に及ぼす害がなくなることは火を見るよりも明らかである。そのために従来のような市民の心配は解消するであろう、また路行く人々に与える不安もなくなるであろう。また、深夜のワメキ声も市民の耳に、入らないですむであろう。そうした面から考えると市民にとつては確かに大きなプラスになるものと断定して差え【原文ママ】あるまい。

 しかし、私はこの条例の出来たことによつてプラスの面を単量的に見ることには反対である。何となれば動物に対する愛護の観念を飽くまで尊重してもらいたいことである。そこで犬を退治する場合にザンニンな行為を市民や小供達に見せないようにしてもらいたいことである。

 すなわち人間の精神生活に及ぼす影響を質的に計算の範囲内に入れてもらいたいことである。これは、決してゆるがせにすべき問題ではない。あくまで尊重すべき重大な問題である。若し当局が質的な在り方を無視するならば神をぼうどくするものとして不問に付すべきでないと思う。市当局のご意向をうかがいたい。(長崎市旭町・小山生)

『長崎民友新聞』1957年4月6日1面「よろん」欄

 

その一方で、「野犬をどんどん取り締れ」という投稿もありました。

 

野犬どしどし取締れ 畜犬取締条例の実行望む

 長崎市畜犬取締条例は最も適宜な条例であり、どしどし実行して下さい。私は十五、六年前外地に於て、狂犬にかまれ、毎日毎日予防注射を背中にうたれ、危険期間が終了する迄、身心ともに疲れ果てた事があります。

 ところが三年前再び同じ心配をしなければなりませんでした。当時小学校二年生の長女が、「くろい犬」にかまれた、と電話が勤先にあつたのは午後五時ごろでした。この「くろい犬」が野犬であつたため、狂犬か、どうか確かめるため夜おそくまでこの犬を探した。この犬が狂犬でないと断定されるまでは、物心両面、筆舌につくし難いものを費しました。

 四月四日「新条例是か非か」の岡田さんのお説も、子供とともに走る犬を想像して、なごやかな状況ですが、反面、犬にかまれる、人間、庭先に放糞、草花をあらす等、大変な被害です。あの「よろん」を呼んで取締りが、ゆるんでは大変です

 保健所の皆さん、しつかり野犬を取締つて下さい。そして、こんな条例が長崎市だけのものでなく、長崎県の条例に否、全国的な法律になるようにして貰いたいものです。(長崎市・飽之浦・一工員)

『長崎民友新聞』1957年4月6日1面「よろん」欄

 

ここまで「野犬を取り締まるにしても、やりかたを考えろ」という意見と「いや、とにかくどんどん取り締まれ」という意見とが交錯していますが、実はそもそも、こうした「野犬」の捕獲は、新たに制定された畜犬取締条例が対象とするところではなく、元からある狂犬病予防法によるものでした。あたかも新条例が野犬の捕獲強化のためのものであるというような誤解を与えることを避けようと、かなり異例の対応ですが、読者投稿欄に長崎市衛生部環境衛生課が次のような投稿をしています。

 

誤解をまねく恐れ 「野犬狩の悲劇」の真相

 四月四日民友新聞の「よろん」つにいては【原文ママ】、事実に反した事なので別に回答の必要もないと思つておりましたが、その後再三問合わせがありましたので、一般飼主の方々に誤解を招いてはと思い、一応当時の状況をお知らせしておきます。

 時は四月一日ではなく二日の午後です。その二、三日前住吉アパートの方から「かみついて危い犬がいるから」と捕獲の依頼があつたので、出向いて行つたのです。捕獲そのものは、針金を使う以外、方法がありませんが、捕獲した犬の取扱いについては充分注意しており、まして今まででも犬を打つ、蹴るなどということはしたこともありませんし、またあり得ないことです

 「クロ」の場合にしても「首の皮が裂け」云々とありますが、この「クロ」は現在も抑留所に健在であり、果して当初の通りかどうか、何時でも、どなたにでも、お目にかけますから、御出で下されば、おわかりになります。

 次に「新条例のもとに捕獲を開始」とありますが犬の捕獲は「狂犬病予防法」の規定により未登録、未注射の犬を対象に実施しており、今回公布された「畜犬取締条例」は環境衛生の向上と、市街を美化することにより、市民の福祉に貢献するのがそのねらいであつて、あくまでも正しい犬の飼い方、正しい犬のしつけ方を飼主の皆様方に認識していただくことにあります

 この条例は一カ月の準備期間をおいて、五月一日から実施されますので、その間に市としても各地で説明会を開催したり、パンフレツトを配布したりして早く理解していただくように努力しますが、また愛犬家の中にもこの条例に大いに賛同していたゞき、普及宣伝用の映画なども作るよう計画しておられる方々等、心強い援助をうけております。

 なお「クロ」を捕獲した際に子供さんが、捕獲人に石を打げつけたようなこともありました。その際親ごさんにもご注意しましたが、たとえ外を及ぼす犬を捕獲する際でも、子供の心理からすれば、納得のゆかぬ点もあるかと思います。しかし、何故にこのようなことをやらなければならないか、人々を狂犬病の恐怖から守るためにはどうしても止むを得ない処置であることを、良く子供さん方に理解させてあげて下さい。と共に、本当に愛情を持つて飼つている犬でしたら、登録と注射の義務を果して、安心して飼つていただきたいものです。

 最後に投書者は「犬殺し人間」という言葉を使つておられます。動物愛護を云々される方が、何故このような軽侮の言葉を使われるのでしよう。捕獲人は前述のように「狂犬病の恐怖から国民を守る」ための尊い仕事であり、言葉に盡くせない苦労の多いもので、人間の尊さはそれが正業であれば、仕事の内容によつてまた人によつて差があるものではないと思つております。今後は建設的なご意見により新条例および狂犬病予防法に基づくこの仕事に御理解とご協力下さらんことを切望します。(長崎市衛生部環境衛生課)

『長崎民友新聞』1957年4月7日1面「よろん」欄

 

2つの意味で火消しに努めていますが、1つは「そんな荒っぽい、虐待に当たるような捕獲はしていない」ということ、もう1つは「今度のは、野犬ではなく、畜犬=飼い犬についての新条例だ」ということです。後者については、少なくとも条例条文自体はそうなります。

 

長崎市畜犬取締条例(1957年長崎市条例第5号)

(この条例の目的)

第一条 この条例は、畜犬の放し飼いなどを規制することによつて、環境衛生の向上と市街の美化を図り、もつて市民の福祉を増進することを目的とする。

(定義)

第二条 この条例で「畜犬」とは、番犬、盲導犬、りよう犬及び愛がん犬等をいう

(所有者の義務)

第三条 畜犬の所有者(所有者以外の者が管理する場合には、その者。以下同じ。)は、次の事項を守らなければならない。

一 自己の占有する場所以外の場所には、みだりに畜犬を放し飼いしないこと。

二 道路又は公園その他公衆の集合する場所に畜犬を出す時は、必ず当該畜犬につな又はくさりなどをつけて連行すること。ただし、所有者の監視下において公園等の広場で運動させるときは、この限りでない。

三 公共の場所を汚損し、又はごみ箱を荒すなど環境衛生の向上と市街の美化を阻害するような行為を畜犬にさせないこと。

(罰則)

第四条 前条第一号又は第二号の義務に違反した場合は、拘留又は科料に処する。

(委任)

この条例の施行に関し必要な事項は、市長が定める。

  附 則

 この条例は、公布の日から起算して一月を経過した日から施行する。

※条例原文の入手に当たっては、長崎市動物管理センターのH獣医さんと、長崎市総務課法制係の担当者の方にご協力いただきました。ここに謹んで謝意を表します。

 

前者(捕獲の適正さ)については、そんなに穏やかに連れていったのであれば、捕獲人に子どもが石を投げつけるようなこともなかろうと思いますし、そもそも「かみついて危い犬」が「クロ」だったのかどうかも定かではありません。とにかく住吉アパートに赴いて、目についた犬を(もしかすると片っ端から)捕まえただけにすぎないかもしれない。グレーな部分、あいまいな部分は残ります。

 

しかしながら、結局肝腎なのは「本当に愛情を持つて飼つている犬でしたら、登録と注射の義務を果して、安心して飼つていただきたい」という部分になると思われます。それは、当時も、今も、変わらない。当時は、今よりももっと、それが「常識」と言えない状況にあったわけですが、長崎市衛生部環境衛生課による投書の翌日には、以下のような模範回答ともいうべき投書が掲載されます。

 

要は正しい「犬の飼い方」 まず飼い主の反省を願う

 四月四日民友よろん欄の岡田氏の「野犬狩りの悲劇」を拝読して、ヒトシオ胸せまる思いがした。

 ダホ現場の風景が事実とせば、従順な犬クロの末路に涙せざるをえない。また、大の仲好しの友クロを失つた子供さん達の気持を察すれば、多くの人々はひとしく岡田氏に同感されるでしよう。私もその一人である。

 ここに思わねばならないことは、かくも従順で付近の子供さん達から可愛いがられ、仲よしであるクロ(犬)を、斯る悲しい運命に落し入れなくてもすませる方法はなかつたかということである。クロの友達である子供さん達のお母さん達、お父さん達がお互にご相談し合つて、何人の名義でもよい登録してやり、狂犬病予防注射もさせてクロの生活に温い手をさしのばせて、正しい飼い方をしてやつておけば、かゝる運命に陥れなくてすんだことだし、子供さん達もかような悲しい思いをさせなくてもよかつたのではないでしようか。

 保健所の方々が、ノラ犬や放置犬をダホするのは、あくまでもいつ発生するかもわからない恐ろしい狂犬病の被害から、大切な人命を保護するために行つているのであつて、狂犬病が発生しない時はよいものゝ、ひとたび発生した場合のことを思えば、多少手荒い方法によるのも一応やむ得ない【原文ママ】ことで、私達市民は社会的見地からこの点充分理解すべき面があると思います。

 要は正しい犬の飼い方が万事を解決するのではないでしようか。

 ノラ犬、放置犬のダホは、狂犬病予防法に基いて行われるものとのことで、今回の畜犬取締条例は他に迷惑を及ぼしたり、観光長崎の美化を損うの余り、放し飼、ゴミ箱荒しなどさせないもので、長崎の現況からすれば(東京、大阪方面では飼い放しの犬はホトンド見当りません)当然過ぎる措置というべきでしよう。

 また、一面から見れば、長崎の愛犬家には、正しい犬の飼い方に対するエチケツトの欠けている事を内外に宣告したともいうべきでしよう。

 最後に、犬には人間の如く理性がありません。自分の行為の善悪が犬には本来判らないのですから、飼い主の方で他に迷惑をかけないよう心掛け、訓育してやる義務が道徳的にもあるわけです。

 これはまた愛犬家(犬を飼う者)の大切なエチケツトでもございましよう。新条例の是非を論ずるよう、斯る不名誉な条例をつくらなくてはならなくなつた事象を、お互によく反省して今後正しい犬の飼い方をすることが、この際一番大切なのではありますまいか。(長崎大波止・萩野生)

『長崎民友新聞』1957年4月8日1面「よろん」欄

 

今の常識からしても、これ以上の答えはないと言っても過言ではないですが、事実はまだ別のところに落とし穴がありました。現在でも残る落とし穴です。

 

飽まで〝よろん〟尊重 畜犬取締りめぐる諸説について

 私は民友よろん欄で、長崎市畜犬取締条例の実施をめぐる色んな論議を読みいました【原文ママ】。

 これはわが市民が犬そのものについて非常な関心をもつていることの実証だと思います。私は犬から喰みつかれ負傷をなさつた方のお説をよみましても〝なるほどごもつとも〟と思いましたし、また、子供達から親しまれていた一匹の野良犬の運命についての悲しい物語りも拝読いたしました。また、長崎市衛生部環境衛生課からの詳細なご意見も承りました。

 また「犬の飼方」について飼主の反省を促された記事を拝見いたしました。

 私は何れの記事も〝ごもつとも〟なお説であることを認め、その御誠意に対して感激いたしております。私らは市民としてお言葉の数々をよく理解しなければならないと思います。

 ただ、ここに一言つけ加えて申し上げたいことは四月四日付の「野犬狩の悲劇」というよろんに対して大波止の萩野さんが四月八日付のよろで【原文ママ】「斯るし悲い【原文ママ】運命に落し入れなくてもすませる方法はなかつたか」という御疑念は第三者としての当然なお考えだと思います。

 実は、その野良犬はアパートに仮宿しているのです。アパートではその犬を飼うことは不可能事です。そこでその野良犬はアパートの大多数の人々から親愛されつつも正式に登録され得ない立場に置かれていたのです。これも宿命でありましよう。ただただ私らはああの犬に幸あれと涙ながらに祈るのみでございます。(長崎市住吉町・一少女)

『長崎民友新聞』1957年4月10日1面「よろん」欄

 

この「一少女」は、あるいは「クロ」の捕獲の一部始終をそばで見ていて、H・Hさんにそれを話した中学3年生の少女かもしれませんが、「県営アパートでは、犬(動物)は飼えない」という壁に阻まれて、模範回答の通りにはなし得なかったわけです。この点は、今でも大きく変わるところはありません。社会的なルールやモラルさえ守れば、どこでもかしこでも犬やねこが飼えるようには、日本の社会はなっていない。

 


 

新聞の読者投稿欄での意見の応酬は、まだまだ続きます。その5でも、引き続き読者投稿欄について見ていこうと思います。

 

おまけです。昭和30年代の「野犬狩り」の映像を、さるねこ父は以前にニュース映画の一コマとして観たことがあるのですが、その動画かそれに近いものが YouTube あたりにないかしらん、と探していたら、衝撃的なニュース映画を見つけてしまいました。

 

『昭和41年の浜松市政ニュース2』浜松市広報課制作「野犬をなくそう」

 

大量の野犬を駆除するために、地元の猟友会会員60名余りが協力して文字通り「野犬狩り」を行ない、500頭以上の野犬を射殺しています。さらに、その様子を静岡県副知事が視察し「もっとどんどん野犬を取り締まるように」という指示を出しています(ありえねー)。

それ以外の部分でも、犬の扱い方は非常に粗雑です。「決して手荒な捕獲なんかしてませんよー」と答えていた長崎市衛生部環境衛生課の投書も、眉唾で「ほんまかいな」という感じですね。1957年の長崎と1966年の浜松に、そんなに大きな差があるとは考えにくい。

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